
- ■あいさつ
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はじめまして。カービューティーマックス代表の友成和史です。
この仕事にたずさわってから車のガラスコーティング施工を中心に、車を大切に想い美しく保ちたいというお客様のご相談を沢山お伺いしてきました。
みなさんの車にはたくさんの思い出が詰まっています。
車が欲しいと思った時、カタログを見ていた時、納車された時、はじめてドライブに行った時、デートで好きな人を乗せた時、家族で旅行に行った時、具合の悪くなったお母さんを病院まで送り迎えしていた時などなど・・・全部『くるま』と一緒なんです。
そんな思い出のいっぱい詰まった宝の箱(くるま)を預からせていただき、磨かせてもらえるという、本当にすばらしい仕事をさせていただいています。
私達が一生懸命磨かせていただくことによってその、車の中に詰まった思い出も輝いてくるのではないかなと思います。
そんなお客様に喜んでいただきたい一心で磨きの技術を追求してきました。お客様の最高の満足は『まごころのこもった技術』にあると確信しています。
現在に至るまでほんとに色んなことがありました。
今まで支えてご指導くださった沢山の方々、変わりなくマックスを信頼してくださるお客様、みなさまに感謝の気持ちでいっぱいです。そんな思いも込め、私の生い立ちから振り返り、マックスの現在までを書いてみたいと思います。
コーティング施工が初めてでお悩みの方、マックスに問い合わせをしてみたいけど不安な方、決して敷居高いショップではありません。
マックスを少しでも身近に感じ、親しみを覚えていただければ幸いです。

- ■MAX友成の子供時代
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私のルーツは代々もの創りの先祖から始まります。
祖父は戦前、大阪市港区市岡 で『友成工業所』という蓄音機を製造する会社を営み、私の父も大阪で電気工事会社を営んでおりました。
私は昭和46年大阪市内の旭区という、いわゆる大阪の下町に、1歳上の姉、9歳下の弟の3人兄弟の長男として生まれました。
小学生の時からお店に出て、電球、電池等の販売や電話応対、電気工事で屋根裏に上って配線工事など、常に家の手伝いをやって育ちました。小学校から帰ってから手伝ったり、夏休みなどは工事や配達をやって当たり前でした。
父と遊んでもらった記憶より工事に連れて行かれ「お前も大きくなったらあとを継ぐのだぞ」と言われ、勉強より仕事として育てられました。
お客さんの所から下取りしてきたテレビなどをバラしてよく遊びました。
このころから細かな作業は大好きだったのかも知れません。小さい時から車が好きな私はたくさんのミニカーを持っており、プラモデルもたくさん作っていました。
小学校の時、友達との遊び場は車の解体屋の駐車場でした。今から解体されようとしている車の中で友達と2人で遊ぶのが楽しくて、ボロボロのカマロやトランザムの中に乗り込み、ハンドルを回したりギアチェンジを入れたりして、本当に走っているかのような爽快な気分でした。そこは私達の基地でした。
- ■『磨き』との出会い〜下積み時代
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高校は工業高校の電気科に行っておりました。そこで私は親不孝な事に高校を退学しないといけなくなってしまいました。父と母に「学校も行かないなら家を出て1人で生活するように」と言われました。
1ヶ月間だけ家にいていいと言われ、1ヶ月以内に仕事と家を決めて出て行かなければなりませんでした。アルバイトニュース等を見て、車好きだった私の目に飛び込んできたのは、『カービューティプロ大阪』という車の磨き屋さんでした。
16歳の私は面接の時、家を出ないといけない事や、家の保証人になって欲しい事、保証金を貸して欲しい事などを言い、必死で雇って欲しい事を伝えました。車の免許も無く、経験も無い私を社長は快く雇ってくれました。
カービューティプロ大阪に入社して、何もかもが初めての経験でした。先輩が車を磨いて、綺麗になる姿を見ていると本当に綺麗になっている、早く私も仕事がしたい。綺麗に磨きたいと思いました。
ところが一瞬にしてそんな思いは消え去りました。やってもやっても上達しない自分にいらだちさえおぼえました。自分の使命はとにかく早く技術を身につける事でした。
夜遅くまで残って先輩のやっている仕事をじっと見ていました。「もう帰れ」と言われても帰りませんでした。そしたら、社長が直々に仕事を教えてくれました。営業時間内では教われない事などは、夜まで残って人一倍経験を積むという事に答えを見出しました。
その甲斐あってか非常に早いペースで仕事を覚えていきました。ひとつの事が出来るようになれば違う分野の仕事も出来るようになる。それはまるで階段を一歩づつ上がっていくかのように一歩一歩進んでいくのが分かりました。
20歳になると全体を任せられるようになり、色々な管理や営業等もたくさん勉強させてもらいました。
- ■初めての自分の城〜現在のマックス
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25歳の時に自分を信頼してお車を預けてくださるお客様の満足のいくように、車を綺麗にしたいという想いからカービューティプロ大阪を離れました。その後、兵庫県伊丹市のマンションの1室、友達からもらった軽トラックに荷物を積み込んでお客様の下へ出張作業専門で『カービューティマックス』をオープンする事が出来ました。
しかしその中には綺麗にしたいと言う想いが強く、いつかは自分の『磨きのアトリエ』をもちたいと言うのが夢でやってきました。
その後尼崎市に8坪ほどの車が1台だけ入るところを借りました。築40年ぐらいの少し古めの貸し工場でしたが私にとっては初めての自分の城でした。
仕事のあるときは夜中や朝方まで仕事をして、仕事の無いときは、壁のペンキを塗ったり棚を作ったり本当に楽しい日々でした。
そのときに仕事は紹介ばかりでしたが、紹介が紹介を呼び車を預かって作業するスペースがなくなっていました。
そのとき、8坪の作業スペース以外に駐車場を5台分借りていました。そこではセキュリティー上の問題からもう少し広めの物件を探すことにしました。
ちょうどたまたま豊中市の空港線沿いの35坪の4台作業できる貸し工場がありそこへ移転を思い切りました。家賃は一気に3倍に上がりました。やっていけるのか不安もたくさんありました。
紹介していただけるのはすごくありがたかったのですが、仕事がいっぱいでいつも断らないといけないような状況だった中でいつもお客様に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
そのときに、お客さんに迷惑をかけてはいけないという気持ちから、MAX式のコーティング技術を継承していく為に社員さんを増やしていくことになりました。
その後社員さんが増えれば、また場所が狭くなり、同じ空港線沿いの100坪の貸し工場に移転、その際に法人化してお客様のためになる企業を目指す決意をしました。
現在は、そこの空港線沿い100坪とその近く50坪の2箇所で営業しています。
- ■さいごに
こうして自分のルーツを辿ると、いかに車を綺麗にして沢山のお客様に満足していただけるかを問い続け、現在のカービューティーマックスがあります。
ポリッシャーを持って車の前に立つと自分だけに分かる世界が広がります。
その自分だけが入っていける世界の中で、究極のコーティングを目指し、皆様に提供したいと思っています。
しかし、まだまだ出来ていないところもあるかと思います。
もしMAXよりもすごいところがあれば僕はそこへ修行へ行ってみたいと思う気持ちです。私はこのことを念頭において、お客様の喜ぶ顔を求めながら果てしない旅に出ているのだと思います。
儲け主義のために車を磨くのではありません。本当にお車を大切にしていらっしゃるお客様に最高の満足をご提供し、お車との付き合いを楽しんでいただく為に美の追求・感動を提供出来るようなお店を目指しています。
スタッフも長年経験を重ね今や磨きにこだわり妥協を許さない職人ばかりです。
これからもカービューティーマックスを末永く宜しくお願いいたします。
***最後までお読みいただき本当にありがとうございました。***






























カービューティーマックス